2009年12月15日

仮名手本忠臣蔵の由来

赤穂浪士の吉良邸討ち入りは昨日と
一般的にはいわれておりますが、
実際に討ち入ったのは日付が変更
してからでして、しかも雪ではなく
て雨が降っていたそうです。


忠臣蔵が日本人の間に定着した演目
となったのは、なんといっても歌舞伎
の「仮名手本忠臣蔵」の役割が大きい
でしょうね。

江戸時代にはすでに圧倒的な人気を得て
現在までに至っています。


ところで、なんで仮名手本って言うの?


考える必要はありませんね。ズバリ
そのものの「仮名の手本」から得た
題材なのです。

江戸時代の寺子屋では、いろは47文字
を7行7段の手本で教えていました。

この47という数字も赤穂浪士を意味する
ところなのですが、仮名手本の最下段
を横に読みますと、幕府の対応を不満と
した庶民の気持ちが表れているのです。


ためしに書いてみてください。
いろは順に7行7文字にしますと
最下段はこうなります。

とかなくしす

昔は濁点を用いませんでしたので
現代風に訳すとこうなります。

咎なく死す


つまり、主君の敵討ちをした者たちは
武士道の鏡であって、罪もないのに切腹
させられた、というところでしょうか。

あるいは、吉良上野介から理不尽な喧嘩
を吹っかけられた浅野内匠頭のこともさして
いるのかもしれません。


ともあれ、忠臣蔵が話題になると、いかにも
年末って感じがしてきます。





posted by 子竜 螢 at 05:48| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。