2011年08月15日

敗戦記念日ではなく。。。

8月15日は終戦記念日です。
敗戦記念日ではありません。

同じではないのか、と思っている人が多そう
ですので、違いを述べてみます。



昭和20年8月15日の正午、陸海軍を統べる
大元帥昭和天皇の玉音放送がラジオから流れ
ました。

「すべての戦闘行為をやめましょう」
軍部と軍需産業に従事している国民と、それに
本土決戦も辞さずと叫んでいる人たちへ、矛を
収めましょうと呼びかけになったものです。

ゆえに、8月15日が終戦記念日なのです。



一方、戦争状態を継続するか降伏するかは内閣の
外交政策であるため、9月2日、東京湾に浮かぶ
戦艦ミズーリ艦上での降伏調印式をもって日本の
敗戦が確定したのです。



戦前にも日本には内閣と議会があり、協力し合って
または反目を重ねてくにを運営してまいりました。

戦争とは外交面でのひとつの手段に過ぎませんから
内閣が戦争を選んだ場合、天皇は軍の最高司令官
として従わなくてはならないのです。

昭和天皇に戦争責任があると主張する人は、ぜひ
大日本帝国憲法を精読していただきたい。天皇と
内閣との関係は現在の日本国憲法と少しも違わない
ことがご理解いただけると思います。



また、70年前に始まった戦争とは何であったのか
を問うとき、当時の世界情勢を理解した上で語る
のでなければなりません。ともすれば現代の世界
観をもとに論じますが、それでは本当の意味が
見えてこないでしょう。



当時、アジアとアフリカ(世界の陸地の半分)にて
独立していた国は、日本・中国・タイ・イラン・
エチオピアの五カ国だけでした。

それ以外の広大な地域が欧米の植民地だったのです。

しかも、当時のアメリカはプエルトリコ・フィリピン
を植民地とし、日露戦争直後には、6つの島と7つの
王国からなるハワイを軍事併合してしまいました。

なのに、日本に対しては、黄色いサルがアメリカの
真似をして中国に侵略行為をするのはけしからん、
と中国からの全面撤退を要求してきました。

イギリスが香港を軍事的な威圧によって租借している
のには何も言わないアメリカが、日本にだけ撤兵を
迫ったのは、当時の日本人首脳部には耐えられない
話だったのでしょう。常に、欧米による植民地化への
恐怖があっただろうと容易に推測できる世界情勢だっ
たわけなのです。



しかも、戦争に関するジュネーブ協定というものが
存在しました。

「戦闘行為をする場合には、事前に宣戦布告をすること」
「捕虜を虐待してはならない」

このあたりが誰でも知っている内容だと思いますが、
要は、当時の世界が戦争を外交の一手段として認め
ていたという点が重要なのです。

ご存知のように、ハルノートは日本にて対して戦争か
あるいは主権の放棄という決断を迫りました。ジュネーブ
協定で認められていた中国との戦争を許さないという
のですから、アメリカは日本の国家主権を認めない
と言ったに等しいものでした。

現在の日本に友好的なアメリカと同じに考えますと
歴史観を誤ります。我々現代人は、当時の日本人が
苦渋の選択の末に戦争という道を選んだことを理解
しなくてはならないと思います。


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posted by 子竜 螢 at 20:19| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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