2011年09月10日

自殺予防週間

今日から自殺予防週間です。

周囲に鬱病の人がいたなら要注意。
暖かく心の支援をしてあげましょう。



今年に入ってからの自殺者は減る傾向だった
のですが、東日本大震災からまた増えています。

自殺と鬱病との関連は明白ですが、将来に希望
が持てない人の自殺は、鬱かどうかにんかかわり
ません。



ところで、鬱という字は難しいですね。

「リンカーンはコーヒーを3杯飲む」
と覚えるといいらしい。

が、こんな字をスラスラ書けるほうが怖いですね。
まったくかかわりのない人にとっては、知らなく
てもよい漢字でしょう。

しかし、日本の国自体が鬱病患者なのかもしれません。


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ラベル:自殺 鬱病
posted by 子竜 螢 at 08:09| Comment(6) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
子竜さん、自殺する人は、どんな場合であれ、病気ですよ。医学博士の森田正馬は「人間を殺すのは、どんな場合でも、精神異常」といっています。自分も、人間ですから。
 鬱に限らないんですね。精神病は、なにかと自殺の影がつきまとう。
 自殺予防週間と言っても、私みたいな病気持ちのものは、昨日もどっぷり落ち込み、暗くなりました。人生、虚しくなることもしばしば。
 周りの人の暖かい心遣いは、本当に、私たち病人にとって、こころの支えになります。
 逆に、ちよっとした、悪意が、病人をどん底に落とすことも、ありふれていますので、この病気は、難しいのです。知らないうちに、落ち込んで、勝手に死んだ、という風に、思われてしまいます。
 私は、かなり改善しているので、どこに出ても大丈夫ですが、いまだに、心無い人々には、失望します。
 病気の有無に拘わらず、他人には優しく接していきたいものですね。
Posted by Pearsword at 2011年09月10日 11:42
生真面目で責任感の強い人が、ウツになるそうです。
仕事の重圧から逃げても、死ななきゃいい。楽しみもきっと有ります。
世の中では、他社あるいは他者がその仕事をするだけです。

私的には、意地悪な上司が1週間分の仕事を1日でやれといった毎日で、
連日の徹夜続きと過労で病気になり、泣きながら会社に行っていました。
電車に飛び込もうか?責任者なしで今の仕事はどうなる?上司が憎い。
疲れ過ぎていて、終電の座席で気を失った事もあります。

恐いセンター長(恩人)が「休め」と命令してくれました。
1ヶ月有給取って医者に行き、喘息、不眠、頭痛、下痢はストレスという話。
今は会社を辞めて、姪っ子たちと楽しい毎日。あの涙も苦い経験です。
Posted by いばらき at 2011年09月10日 19:23
後日談がありまして、私は喘息のまま会社に復帰した時、
センター長は、日立の定検所長(現地トップ)に出世し、
働く部下のいなかった上司は、雑用をしていました。
私が辞めた後、六ヶ所村に飛ばされたらしいです。
Posted by いばらき at 2011年09月11日 09:05
負のスパイラルに陥りますと抜け出せなくなり
ます。Pearsword さん、必要なのは抜けだそう
という勇気ですよ。

子竜も若い頃に鬱になりましたが、抜け出す
勇気を出したので、完治しました。

近いうちに、画期的な方法を記事にします。



いばらきさん、いらっしゃいませ。

真っ向から問題に立ち向かう方法と逃げる
方法があるのですね。

逃げるのは賢い選択だったと思います。
上司の方こそ重症だったのではないでしょうか。

コメントありがとうございました。
Posted by 子竜 螢 at 2011年09月11日 10:08
子竜先生の洞察は凄いですね。よく考えますと、もっともです。
部下は休職、センター長は栄転。残された上司は一人ぼっちで
針の筵だったでしょう。仕事はないのに毎日会社に行く。
上司こそウツになってもおかしくないほど、辛かったかも。
後に仕事と安息を求めて、自分から六ヶ所村に行ったのかも知れません。
私の開発したシステムで賞金が出たそうですから、恩は返しました。

母方のお爺さんの「部下を育てると出世する」という話。
人事担当が誰君を昇進させようと考えた時、後継者が居ないと、
「あの仕事から誰君は外せない」と昇進は流れるそうです。
年配になると「誰君はあの仕事しか出来ない」と評価される。
仕事の成果を独占せず、人を育てよ、という話です。
孫を使って父に言っていた?父は元支店長、町会長として汗を流しています。

お爺さんは元軍需工場の少年兵、戦後、駅の切符きりから始まって、経理、
系列ホテル支配人、本社の専務となって70過ぎまで働いていました。
おおらかな人柄で、ホテルショーのフィリピン娘達から、日本の父と
慕われたそうです。戦争で学校も行かず、独学で英語を解するようです。
フィリピン娘を守るのに必死だった結果かも知れません。
Posted by いばらき at 2011年09月11日 14:52
いばらきさん、いつもコメントありがとう
ございます。とっても励みになっています。

お爺様がいい影響を残してくださったので
すね。羨ましいです。

昔の人は本当に凄かった。理論ではなく
生身で人生訓を会得しているのですから
現代人が見習うべき点でしょう。

そういう家系なのですから、いばらきさん
はきっと大成功されると思います。

楽しみにしていますよ。
Posted by 子竜 螢 at 2011年09月12日 07:47
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