この場合の対案とはどのようなものであろうか、と不図
疑問に感じてしまいますね。
なぜなら、発電の方法や量をを問題としているのではなく
原子力発電は危険だからやめようと言っているのですから
対案とはどのようなものか、と逆に聞きたいのです。
温暖化対策を問題にしているわけでもありません。電力
料金の問題でもありません。
議論を巧みに摩り替える手法は、原発推進者さんたちに
とって命綱なのでしょう。最後の牙城が崩れたなら、利権
を手放さなくてはならないからです。
脱原発や反原発に反論するには、原発の安全性を証明しな
くてはなりません。
安全なのか危険なのかという論争なのですから、代替エネ
ルギーがどうのこうのという論法は成立しないのです。
福島第一の事故処理がとっくに終わっていて、住民の避難
がわずか数日であったなら、安全と認めてもよいでしょう。
しかし、2年半以上も経ってようやく1号機の容器破損が
判明しましたし、まだ16万人もの人々が避難生活のまま
なのです。とても安全とはいえません。
なおかつ、補修のメドさえ立っていないのですから、代案
とはどういう意味なのでしょうか。脱原発のために代案を
示す必要があるのでしょうか。
危険だからやめる。
とりあえずは火力に頼り、自然再生エネルギーの開発に
全力を注ぐ。
それだけのことです。
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